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クレイン・トータス新聞

トータス新聞1面記事

令和元年、生きるとは

2019-07-01
 時代は遷りました。新時代令和の到来です。令和がどんな世の中になって行くのか。私には殆ど見当も付きませんが、奇しくも時を同じくして、後期に突入した老爺として、多少なりともご一緒させて頂くことになろうかと思います。そんな訳でいやが上にも残りは限られた終の段と相成ります。私は太平洋戦争末期の終戦1年程前に生を受け、戦後の食料難とモノ不足の時代を幼少年として過ごしてまいりました。当時田舎には都会から大きなリュックを背負い、買い出しに来る人達が絶えない時期があり、我家にも僅かな米やサツマイモ等を求めてやって来られました。ただそんな人達の中にはあまり素性の良くない人もおり、我家では何度か食糧や衣類等の盗難に遇ったことがあります。この事が事件となったのでしょうか。それからかなりの警察官が連日のように来られたことを子供心にも覚えております。そんな中におりました1人の方が、中々のおエライさんだったようで、来る度に母親とよく話し込んでいるところも記憶の彼方にあります。実はその方が私を養子に欲しいとのことで、母親に掛け合っていたそうです。
 人生に「イフ」はないのですが、若しもそれが現実となっていたとしたら、これはロマンです。人生は思いがけない出会いや巡り合わせによって、往く道が右か左か、或いは大路か小路か、運命的な不思議さがあるのではと、時にはそんな感慨に耽ることもありました。また私の幼少期の変な小事として、こんな事もありました。独り遊びしていた或る日、大豆を1粒、鼻の中に入れたり出したりしているうちに、豆が鼻水を吸収して、いつの間にか膨れてしまい、自力では取れなくなってしまったのです。さあ大変!半べそをかきながら田圃にいる母親の元へ、急いで飛んで行ったことは苦くも懐かしい1コマです。余談ですが、私の小鼻が今もって膨れすぎているのは、その時のせいやも知れません。もう1点、その時代の特異な記憶が甦ります。叔母に手を引かれ、お正月の成田山詣りへ行った時のことです。新勝寺の山門の階段で見掛けました。白装束に黒眼鏡、首から箱らしき物をぶら下げ、片足で松葉杖ながら、何か音の出る楽器、今で言うアコーディオンを弾いておりました。その異様な姿がすごく恐ろしいモノに見え、当時の強烈な印象が相当後年までも尾を引いておりました。どんな事情であのような光景があるのか、当時の私には知る由もありませんでした。戦後既に数年以上は経っていた頃と思いますが、まだまだ戦争の傷跡が一部の人達には色濃く残っていた無念な姿だったのです。さらに戦争孤児の悲惨なギリギリの中で生き延びた話などを聞き及びますと、当時の人々の生きることへの飽くなき必死さが伝わり、今の世とは隔世の感がいたします。
 そのような大変な時代を乗り越え、庶民が小さな豊かさを感じ始めたのは、昭和30年代の半ば過ぎになってからではないでしょうか。その後の世相は大なり小なりの紆余曲折はあったものの、我国のGDPは鰻のぼりで、外国からはエコノミックアニマルと揶揄される程物質的な豊かさを享受することになります。その最盛期は50年代の後半から平成のごく初期にかけての所謂バブル期にあったと思います。
施設長
 私はこの間が青年期から壮年期の中にあり、それこそ心身ともに充実しておりまして生きることには何の屈託も躊躇もなく、人生を謳歌していたようです。  そして元号が昭和から平成へと変わりますと、状況は一転してバブルは弾け、失われた10年とか、20年とか言われてますように、坂道を転げ落ちるが如く凋落期に迷い込むことになります。丁度その頃私も人生の下降期に入りまして、平成の元号は失意の中で聞きました。私の心身にとって、それまでの祟りが出たのか、合わせて男の更年期というものと合致したものか。とにかく体調の優れない日々が続き、先々への不安が胸を横切る時も度々でした。中年を過ぎ、初老期にかけては、身体の方は徐々に錆びつきはじめましたが、気持ちの方は何がキッカケでということもさだかではありませんが、殆どと言っていい程に持ち直しまして、一市井の臣としてそれなりの生き様ができたのかとも思っております。この様なことで凡その区切りもつきましたので、ここいらでひと休みじゃあありませんが、四季折々の風月を愛でながら、たまにはノンビリと野良にも出掛け息の続く限りと、そんな風に思って過ごしておりましたところ、偶然だったのか、運命だったのか、トータスの皆さんとの縁が桃色の糸にて結ばれたのです。あれからもう何年になりましょうか。高老期にならんとしている私が、未だに皆さんと共に励み合えるということは誠に有難く感慨深いものがあります。ここでこれまでのトータス史を私なりに振返ってみますと、何点かのインパクトがありますが、とりわけ鶴舞温泉げんき館のオープンと北ホテルの増設です。決して安泰期に入った中での事業化ではなかったかと思います。矢継ぎ早やに敢えて挑んだ現理事長の洞見と決断力には驚嘆しましたし、そこに今日の法人「鶴心会トータス」が存するものと思います。法人が生きるとは況して生き続けることは並大抵のことではありません。人はどうにも立ち行かなくなった時は公による救済措置がありますが、法人には同じような権利はないのです。平成に生まれたトータスが令和の時代を存立理念である「安心と生きがい」により一層の思いを込め、逞しく歩んで行くものと思うものです。
 私は「70にして心の欲するところに従えども矩を踰えず」という論語の一節を胸に刻み、令和の空気をもう少し吸っていたい。
特別養護老人ホームトータス
施設長 齋藤 武
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