本文へ移動

クレイン・トータス新聞

pick up記事

「ゆく河の流れは絶えずして」

2025-07-01
新聞
 「しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまるためしなし。世の中にある人と住処とまたかくの如し。」
 有名な方丈記の出だしの一節であり、私の好きな一段でもあります。
 或る時、図書館に行きました。たまになんですが、この方丈記の現代語訳本に目が停まり、これは良いものに出会えたと早速手に取りました。ヒラリと捲ったところ私が思っていた以上の原文の量でありましたが、これは面白いということで借用することと致しました。読み込んでいるうちに、時代を超えて現代にも通じるところが多々あり、そのうちの何段かを引用させて戴き、私の知る由のことなども交えて、何時か当新聞に紹介しようと、思い立ちまして、この度の寄稿となった次第です。
 この物語は、今から凡そ八百年前頃の社会の実相と人の営みをルポタージしたものとが、主な内容となっています。時代は平安時代の名残が残る鎌倉時代初期の京の都の姿です。作者は言わずと知れた鴨長明です。長明は京都で大きな勢力を誇っていた下鴨神社の神官の血を引き、公家文化に包まれて育った坊ちゃんで、多感な少年時代に零落して、後年に苦労を重ねた。晩年には出家して仏教の道を目指し、仏教の教えにある無常観に倣って、過去を見つめ、人生の意義を考えた人であります。
 また、大変な勉強家で中国や日本の古典に精通しており、歌人としても勅選和歌集である「千載集」や「新古今和歌集」に何首か収められていることが、「十訓集」という当時の書物に載っているとのことです。加えて、琵琶の音楽家としても相当の名を馳せていたようでもあります。
 私の役目柄と申しましょうか、毎年一度は「クレイン・トータス新聞」への拙い寄稿文の御鉢が回って来ます。そして二つ目の役目として、毎号的に発刊前に目を通させて頂いておりますが、これまでに発刊した号数は既に三百号を超える程となっております。しかも毎月の発行を一度たりとも切らさずに延々と発行していることは、内部に身を置く者としても驚愕的なことと思っている次第です。このたびクレインとトータスは統合して一体の法人となりましたが、両者の日々のサービスやケアぶりがこの新聞には詰まっており、法人の歴史そのものを写していると言っても過言ではないでしょう。ここに至るまでの間、原稿に頭をひねった職員、また寄稿して下さった関係者の皆さん、そしてそれを編集した方々には頭が下がります。それも理事長の並々ならぬ思いの結晶であろうと思います。
 さて、序章の「ゆく河の流れは」の訳ですが、
 「水は延々と流れていきます。水面に陽の光をたゆたわせ、いつまでもいつまでも流れていく。だけど流れる水は一時たりとも同じではない。水は川上から川下へ絶えず流れ、とどまることがない。いや水がとどまっている所もある。岩だの木ぎれだので流れがさえぎられ、水がよどんでいる場所、そこだって絶えず小さな泡たちが生まれて消え消えては生まれている。決して同じ姿ではない。変らぬように見えて、一時だって変らぬことはない。悠久の姿のように思われてでも絶えず、そこに在る何かが移り変り、何かが生まれ、そして何かが滅んでいる。それが河の流れの本当の姿なのです。この世も全て同じです。人もそして人が日々の暮しを営む住処も。」
 美しい響きをもってしての名文中の名文と訳者は讃美しておりますが、門外漢の私にもそう思います。人の世を河の流れに例えて、人と家とまた自然も常ならずという無常観を醸している一文であろうと思います。
 鴨長明という人は下鴨神社の神官の子として生まれ、水と森に囲まれての育ちだったようであります。賀茂川と高野川の合流地点にあった下鴨神社。そして、神社の周辺は糺の森であり、その中をまた何本かの小川が流れている。そんな風景を見ながらの育ちがこの名句には少なからず、影響しているのではと推察されております。
 余談になりますが、ずっと前に読んだ、司馬遼太郎の「街道を行く」というシリーズものに「糺の森」についての考察があり、そこは深い森で神聖にして神秘の所的な表現で綴られていたと思います。そんなことがあり、いつか一度は訪れて見たいと思っていたところ、先年、或る旅行社のツアー募集があり、それに乗じて行くことができました。確かに糺の森は静寂に包まれた聖域でありまして、その中を清洌な泉川と御手洗川が縦横に漱音を立てながら、流れておりました。そのツアーには下鴨神社と上鴨神社の参拝も含まれており、両社にお参りしましたが、由緒には京都の三大祭りの一つである葵祭の祭祀はこの両社であるとのことで、成程なあと納得を致したところでもあります。
 本題に戻りまして、二段目の原文です。
 「玉敷のうちに棟を並べ、甍を競える、高き、卑しき、人の住いは世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかとたづねれば、むかしありし家はまれなり。
 これまことかとたづねれば、昔ありし家はまれなり、或いは去年やけて今年つくれり。或いは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変わらず、人多かれどいにしへ見し人は、二、三十人が中に、わずか一人二人なり、朝に死に夕に生まるならか。ただ水の泡にぞ似たりける。」
 この段は次のように訳されております。
 「玉を敷きつめたような美しい都の中で、棟を較べ合い、身分の高い、或いは賤しい人の住居は何代たっても不朽のものであるはずなのに、これが本当かと、あちらこちらを回ってみると、昔あった家はほとんど残っていない。或る所では去年焼けて、今年新しく造った。また或る所では大きな家は滅びてなくなり、小さな家になってしまっている。かつて栄華を誇った住人も今は死に絶え、子孫の落ちぶれた暮らしがあるばかりであった。家も人も、河の流れのように流転し、いつしか変っていた。それが本当の都の姿だ。
 人の数は多い。しかし昔に顔を見た人は、二、三十人のうち、わづか一人か二人である。一人が朝に亡くなり、一人が夕に生まれるという、この世のならわしは、丁度水の泡に似ている。」
 若い頃の長明さんは都の中心的な所で暮した都人であり、その暮しぶりを垣間見てきたのでしょう。しかし、思うところあっての庵暮しに入り、都に異変や事変などの時以外はそれ程出向くことはなかったのではと察しられます。
 何年ぶりなのか、いや何十年ぶりなのか、足を踏み入れた都の姿の様変りぶりが驚かれ、つぶさにルポした様子が如実に写し出されているように思います。
 そして、前段に続いて、現実としての人の世の儚さと栄枯盛衰の常なる理が写し出されております。
 ところで、長明が晩年の住処とした方丈庵ですが、その大きさは一丈四方(約二、八坪)の広さばかりで、天井の高さ七尺に、軒先を三尺出した粗末な小さな々一軒家だったそうです。今で言う極々簡単なプレハブ住宅的なもので、そこでの一人暮らしに何より安堵したようです。そして、この名作「方丈記」はその庵で四年程の歳月をかけての作品として完成されたようです。この後に続く原文は更に々に幾段もあるのですが、紙面の都合上とても紹介し切れませんので、思い付きを書き留めます。
 私が育った昭和から今を暮す令和にかけても、人命が多数失われ、かつ社会的インフラが損なわれる大規模な自然災害等の災厄は、数々起こっています。長明が生きた平安の後期から鎌倉時代にかけても安元の大火(一一七七年)を初め、治承の辻風(一一八〇年)、元歴の大地震(一一八五年)等々の五大災害に見舞われたことが相当の稿を用いて記されております。時代は乖離して人々も暮しぶりも全く違う訳ですが、社会を揺るがし、人心を乱す災厄はいつの時代においても尽きることはなく、災害は忘れた頃にやって来る、このことを改めて肝に命ずべきと思った次第です。私の一方的な綴り方教室も、終いの段に入らせて頂くとしまして、本題の終章の一節には次のようなことが綴られておりました。
 「抑(そもそも)、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し、たちまち三途の闇に向はんとす。
 なにのわざをかかこたむとする。仏の教え給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも閑寂に着するも、さばかりなるべし、いかが要なき楽しみのべて、あたら時を過ぐさむ。」
 訳は、
 「さて、私の一生の月影も傾き、残り少ない今も山の端に近づいている。
 たちまち、三途の闇の中に向かおうとしている。いったい何事についてとやかく言おうとするのか。仏の教え給う言葉の趣きは、何事につけても執着を持ったということである。今、草庵を愛することも、閑寂に執着することも、もうこのくらいで、ととめておくべきであろう。どうして無用な楽しみを述べたてて、もったいない時を過ごそうか。」
 庵において、自然を愛し、仏の修業をもって日々を暮した長明さんでも執着心から来る内面の苦しさを綴っております。
 私もいよ々老境に身をおく昨今となり、幾らかでも恬淡との思いは、無きにしも非ずなんですが、遣る事、為す事は俗そのものです。言うは易し、行うは難しとほと々思っております。しかし、一方では執着心が人の生きるというバイタリティとなってもいるのではと、思うところもあります。
 この方丈記の基底に流れる精神はこの世というものは無常である。人も世の中もいつも同じように思えるやも知れないが、変らないものは何一つない。永久に続くことは決してなく、何事も限りがあり、本当は儚いものであると。従って、折角与えられた人生を出来るだけ悔いを残さず、その人らしく、という長明さんからのメッセージのような気が致しました。

特別養護老人ホームトータス
施設長 齋藤 武
社会福祉法人鶴心会
〒290-0512
千葉県市原市鶴舞559-1
TEL.0436-50-6161
FAX.0436-88-4010
・特別養護老人ホームトータス
・トータスデイサービスセンター
・デイサービスセンター鶴舞温泉げんき館
・トータス訪問介護ステーション
・市原市地域包括支援センター・トータス

〒290-0511
千葉県市原市石川1078
TEL.0436-88-4500
FAX.0436-88-4002
・介護老人保健施設クレイン
・クレイン通所リハビリテーション
・クレイン訪問リハビリテーション
・鶴舞訪問看護ステーション
・トータス居宅介護支援事業所
 
TOPへ戻る