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クレイン・トータス新聞

トータス新聞1面記事

さみしさよこんにちは

2019-01-01
 新年明けましておめでとうございます。
 平成最後のお正月を皆様と一緒に迎えられましたこと、心からお歓び申し上げます。
 平成30年間は、私には激動の時代。その3分の2の20年間はクレイン、トータス、げんき館に注いだ時間。芸術家である私は、介護という仕事の中で“心”というものの在り処を探していた。どうしたら「安心と生き甲斐」を与えられるのか、又受け取ってもらえるのか、そして何故それが必要なのか。人間の心の何処かにはさみしさが横たわっていて、それを癒せるのがやさしさだと、そういう思いが強い。心というものは複雑、感情や考え方、環境や相手のことなど全てを呑み込んだその底に心が横たわっていると思っている。人の心を読むことの難しさは誰もが経験していること、その中でもさみしい心とやさしい心は素直に通じる。誰もが共通に持っているから。
 人間一人ひとりは大きい歴史の流れの片隅で生きている。毎日その時その時の感情を持ちながら変わり行くものを追いかけている。情報の時代になって流れはいっそう速くなり、ゆっくりと感情の中に浸ってはいられなくなった。喜びや悲しみ、苦しさや楽しさも、テレビを見るように次々に移り変わる。泣いたと思えば笑い、怒り心頭に達しても長くは続かず、冷めるのを待つ。ムンクの叫びは届かず、心の奥からの声が段々聞こえなくなっている。
 情報化社会は、こんなにも心を蝕んでいる。気が付けば、ゆっくりと噛み締める食事、心ゆくまで堪能したい旅も時間に奪われて、キョロキョロと次を求めて動いている。こんなにもせっかちになっていたのかと昔を思い返す。これも便利さを求めてそれを実現させている人間自身がもたらしているもので、反対に心を失っている。
 ほんのこの20~30年間の出来事で、地球は小さくなり、時間も空間も縮まって、日常が呆気なく通り過ぎていく。多くの人が、特に若い世代がスマホに振り廻されて、本来の自分を見失っているように思える。スマホはその時点での対話はできるが、心は見えない。我々人間は過去と未来を含んだ空間として考えられる知性を持ち、感性を含んだ心の対話ができる。機械は便利さを与えてくれるものだが、過度の依存は孤独をよび、さみしさに付きまとわれる。そして更に機械に依存し続け、それを繰り返すことになる。その時には人間はどうしているのか。
 頼りになるAI(人工知能)は、私利私欲にとらわれないで意思決定できるという長所があるらしい。反面、人の非を責めたて、例えばSNSなどで他人を誹謗中傷したり、競争を好み、成長をして利益を得ることに集中する人をつくる。人間同士のつながりや尊厳は無用のもので、自分だけの人間の群れと化す。そういう社会につながっていく危険性が危惧される。欲を持ち続けて進歩してきた人類だから、グローバル化やIT化の世界の中で拡張と成長を止めることはなく、宇宙征服の志しさえ持って進んでいる。現在は仕事の71%は人が担っているが、2025年には機械が人より多くの作業を行うようになると言われている。機械化は人口減少と反比例しながら現在進行中なのだ。介護にもその波は押し寄せている。
 さて介護という我々の仕事に於いて、痛いとか痒いなど身体のことはすぐ言葉にしてくれる。反面、不安とか心配など精神的なことは我儘な人を除くとすぐに言葉にしてくれないことが多い。さみしいとなると尚更のこと、言葉として出にくい。突然「さみしいよ」と言われると、何がと聞き返したくもなる。さみしいという言葉は、どこか弱々しい面があるが、そればかりではなく後ろめたい羞恥心のようなものがあるのかもしれない。果たしてAIはそれに気付くだろうか。「やさしさ」や「さみしさ」は、心の底に根を張る多年草、時を待たずに存続していくもので、一過性の同情のようなものではない。派手で目立つ洋花が枯れると醜い姿になってしまうのとは異なり、枯れてももののあわれとして生き続く、人の心の化身となる。そんな心を西田幾多郎は「情の文化」と言ったのではないか。
 日本で生まれた最初の哲学は悲哀が原点となる生きる中から生まれたもの。西田幾多郎の人生は、74才で亡くなるまでさみしさの中から出られることがなかった。と私でも追慕の念がつのる。「我が心 深き底あり 喜びも 憂いの波も 届かじと思う」の短歌をよんでいる。
 妹トシを亡くした宮沢賢治のさみしさは、長詩「永訣の朝」に残された。賢治にしても一人では堪えられないさみしさなのだろう。
 さみしさをモチーフにする詩や小説は、枚挙にいとまが無い。さみしさには別れが密着している。田園を皆で守ってきた日本人はそこから離れ去ることに極めて敏感なのだ。別れの辛さは、誰もが経験で知っている。
 挨拶や、相手を慮る心の欠如を嘆かれるクレイン中村先生や、私の世代近くまでの人の心には残っている情が、すさまじい機械化によって消滅の運命を待たなくてはならないのか、さみしく、侘しいできごとになる。
 1970年を境に、心に大きい変化が生じたデータがある。それ以前の尾を引いている人は、枯れ枝のように自分の枝形を曲げられない。融通のきかない、妥協が難しく、頑固姿勢で主張するが、わずかな力でポキリと折れる。年齢をとり独り善がりでもろい世代がまだ残るCTGだから、「情の文化」を皆で守り続けてほしい。
 いまもみんなで「ひとりにしない」毎日を守っている。集団の中のひとりに寄り添い、独りを好む人の心を覗き、さみしそうな様子に職員は反応する。四季を共に感知し、屋外の食事を皆で楽しんでいる。職員同士互いに相手の身になって力を合わせる。そうしているのがCTGではないか。機械化、人材難と、今年も波瀾の一年が予想されるが、やさしさとさみしさを大切にしている我々が迷うことはない。一緒に良い年を創って行こう
理事長 三好 敏弘
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