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クレイン・トータス新聞

トータス新聞1面記事

花鳥風月を添えて

2023-03-01
新聞
 一昨年、父に癌がみつかった。胃癌だ。たまたま実家に顔を出しに行った時、改まって話があると書斎に呼び出された。今ではすっかり孫と戯れる好々爺だが久しぶりに父親としての目を見た。とりあえず手術をする。もしかしたらの事も考えておけとのことだった。ショックではなかった。むしろ不謹慎ではあるが笑ってしまった。「親父よお前もか」と。
 亡き祖父も胃癌を患った。無事に手術は終えたが既に高齢であったため入院生活により体力が衰え在宅での生活は困難な状態であった。当時は地域に老健や特養などといった施設はまだ整備されていなかったと記憶している。既に医療行為は無いため本来であれば退院となるのだが、担当看護師がそう先は長くないだろうと見立て便宜を図ってくださりそのまま病院で看取った。入院中、祖父がベッド上で微睡んでいるかと思いきや一瞬静かになった。次の瞬間には目を覚まし、ひと呼吸してから「これが死ぬことだとしたら俺は全然怖くないな」と傍らにいた父に語った。死の直前には苦痛や恐怖を和らげるためか脳内麻薬が分泌され幸福感さえ感じるという。あくまで研究での話なのでこればかりは直面してみないとわからないが、祖父は死を容易に受け入れたらしいのであながち嘘でもないと思った。しかし心身の衰えを受け入れることはやはり難しかったようだ。老化によって身体機能が衰えていくことは自然の摂理ではあるが、その事実を受け入れることは難しくそして辛いであろうということは想像に容易い。後に聞いた話だが、祖父が衰え行く自分自身を情けないと涙ながらに父に告げたという。当時は二人の心理状況を知る由もなかったが今では身近な事として捉えることができる。
 話を戻すと父は無事に手術を終えた。しばらくは力が入らない状態だったが、今では食事と酒の量が減ったくらいで元気なものだ。趣味というか性分でもある旅も再開し都合をつけてはふらりとどこかへ行ってくるが、如何せん高齢者なので運転が心配だ。本人もそれについては自覚しており何か起こる前に免許を返納するつもりだと言っていた。
 そうした時、メタバース(仮想空間)が少し気になった。簡単に言えばコンピュータ上に構築された世界でアバターと呼ばれる自分の分身を使用して他者との交流ができ、仕事や商売などの経済活動、コンサートへの参加や芸術鑑賞などを行え、ある意味もう一つの現実として活動ができるというものだ。昨今のコロナ禍における需要増も後押しとなり多くの企業や施設が注力している。例えば凸版印刷株式会社が広重美術館(山形県天童市)をメタバース上に構築した「ミラバースミュージアム」を公開しており東海道五十三次をはじめとした所蔵の浮世絵作品を鑑賞することができる。学芸員も配置されており説明を受けたり質問したりすることもできる。他にも山梨県立美術館が同じようにメタバースを活用する方針を打ち出していたり、KDDI株式会社が立ち上げた渋谷の街並みを再現した区公認の「バーチャル渋谷」ではアーティストや著名人による音楽やトークライブなどのイベントが開催されたりしている。技術は日進月歩で発展しており文字や音声でのコミュニケーションだけでなく動作や表情をアバターと連動し、より感情を表現できるようになっているという。まだメタバースの世界に入る勇気はないのだが、一方でいずれ自由がきかない境遇になった時のことを考えるとまんざらでもないと思った。メタバース上で離れた家族と会って会話をしたり、美術館巡りや旅行に行ったりすることができたら意外と楽しめるかもしれない。交通事故の心配もないのでまずは試しに父に勧めてみようか。勿論それで全てが満たされるとは思わないが、生き甲斐を継続させるひとつの手段としてこのような技術を積極的に利用するのは有りなのかもしれない。
 ここで一つ疑問に思った。現実空間と仮想空間の明確な差とはなんだろう。仮想空間を体験していることも現実のひとつだ。メタバースのことを考えると仮想現実空間を舞台に人類とコンピュータの戦いを描いたSF映画マトリックスが思い浮かぶ。“夢の世界と現実世界の違いは、どうやったら分かるのだろうか”“現実とはなんだ?現実をどう定義するのだ?もし、触ったり、匂いがしたり、味がしたり、見えたり…というのであれば、現実とは脳が解釈している単なる電気信号になってしまう” そんな哲学的なセリフが印象的だった。認知科学の分野では人間が知覚している現実はそもそも外部世界を直接に反映しておらず脳が作り上げたものだという。この先技術が発達して仮想空間においても体験したことが五感を使って感じることができるようになったとしたらどちらが現実扱いになるのだろうか。考えると少し怖くなるが、ただ現段階では全くの別物と扱った方が適切かもしれない。現実とメタバースは並べて比較するものではないような気がした。

 一方自分の現実世界では、ある日我が家に猫が来た。自分の不在中に娘が骨折していた子猫を保護という名目で拾ってきたらしい。一時保護とは言いつつも日に日に増える飼育用具を見て、つまりそういうことだと察した。正直言うと個人的には動物と生活することを望んでいなかった。生活空間の中に自由に活動する生物がいることが考えられなかった。しかし動物との生活経験が全く無いわけではない。高校生の頃、諸々の事情でアパートに一人暮らしをしていた時期があり、そこに一匹の野良猫が住み着いたことがある。その頃は甲斐性がなかったというか何も考えていなかったので放っておいたらえらい目にあった。野良猫だったのでノミが大量発生、適当な場所でトイレをされたり、朝目覚めたら布団の中で出産していたり、その子猫に夜中足を噛まれ大流血等々散々たる生活だった。そんな経験もあり以来動物とは暮らしたくないと思っていた。しかしどうだろう。今となっては猫がいる。しかも後から追加があり2匹。急展開でしばらく理解が追い付かなかったが今では受け入れている。
 彼らの生活を観察していると色々と考えさせられる。彼らは彼らの世界でしか生きていない。気まぐれで甘えてくることもあるが過度に媚びることもせず動物としてのポジションは決してぶれることがない。基本的に言っても聞かない。人間の生活スタイルに合わせる気がない。というより関係がない。だって猫だから。このワードが自分の価値観を変えた。暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏、そして、だって猫だから。言ってもしょうがない。これは育児や介護にも通じる部分があると思った。いくら言い聞かせても出来ないことは出来ないし、幼い子や高齢者に求める必要がないこともある。そう割り切れるようになってからは、思い通りに言うことを聞かない自分の子供達に苛つくことがほとんどなくなった。
 祖母が生前にトータスでお世話になった。コロナ禍での施設生活だったが幸せに過ごせたのだと思う。桜の花を見せてもらったと嬉しそうに家族に話していたようだ。食欲が無くなってきた時にもスタッフが知恵を絞って工夫してくれた。最期はトータスで看取ってもらい本当に良かったと親族一同今も感謝している。入所に至るまではデイサービス等を利用しながら自宅で両親と生活をしていた。ほぼ自立ではあったが年相応の物忘れや失敗はあり主介護者であった父はしばしば強い口調になることもあった。認知症になってきていると話をしていた。毎日一緒にいるとそう感じるのかもしれないが、たまに顔をだす程度の自分にとってはそうは思えなかった。日々介護をする人にとっては、時にその行動は苛立たしく感じることもあるだろうが「だっておばあちゃんだから」と思えば落ち着けたのかもしれない。いざ自分が親を介護する時にもそう思えるといいのだが。
 養老孟司氏(解剖学者)が、心が疲れてしまった人達の手記を考察したところ生活に花鳥風月がでてこなかったという記事を読んだことがある。ここで言う花鳥風月とは「絶対的な自然の世界」のことを指し、その真逆の世界が「相対的な人間の世界」となる。人が幸福や不幸を感じる時というのは、この「相対的な人間の世界」にいるからだという。そのために人間関係で一喜一憂することが多く、往々にしてそういう場合は花鳥風月に目を向けていないという内容だった。たしかに人間関係だけでしか自分を測ることができないのは息苦しい。それに昨今は世の中の色々なことが以前よりきちんと整備され、見えなかった部分は見える化を求められ白黒はっきりとジャッジされる時代に生きている。インターネット上で見知らぬ誰かの無責任な「いいね」を集めたり、炎上や誹謗中傷で苦しんだりと現代人は大変だ。時にはそれらと無縁の世界に目を向けてみてはどうだろう。忙しく生きる自分の狭い世界からほんの少し目をそらすだけですぐ側の景色は遠くまで広がっている。手に持ったスマホから目をそらしてみると足元に猫がいた。ニャーと鳴いた。猫の方が正しいのかもしれない。メタバースも面白そうだが、もうしばらくはこちらの現実に留まろうと思う。

事務長 伊藤 緒里望
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