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クレイン・トータス新聞

トータス新聞1面記事

トータス十五周年に思う

2021-07-01
新聞
8周年記念制作手形
 今から15年前にトータスは誕生した。丁度今頃の季節と重なる7月1日が生まれ日である。
 15年の歳月は法人にとって非常に重みのある日数であり、理事長をはじめ当時のスタッフにとっては、1つの節目として一入の感慨がこみ上げて来るのではないだろうか。何故なら畑違い分野での新規事業の立ち上げ程、大変な事はない。並大抵の苦労ではなく、全精力を傾注してこそ、やっとの思いでスタートに立てたのではと思う。私は色々な場面で、その事を実感してきた。従って、この15周年は内側にいる者としても、誠に祝賀に堪えない慶事と思うのである。競馬のCMに「馬女」の門答が出てくる。4~5人の美女が競馬を始めて1年位の経験をしたところで、その道の通的な男性に質した。「私達、本当に馬女かしら」と、すると男性は「赤ん坊だって立派な人間である」と。このフレーズが痛快でこの上ない明快な説得となって、彼女達は納得したのである。私はこのテーマを編集委員から依頼された時、何故か、ふとあの場面が脳裏に浮かんだのである。例えとしては必ずしもマッチングしないだろうが、法人の15年はもう立派に成長した歳月と思われる。斯界における南総の雄として、押しも押されぬ確たる地位を築いてこられたのではないか。しかし此処に至るまでの道のりは、決して平坦なものではなく、山あり谷ありの星霜を必死の努力と鋭い洞察力の積み重ねによって、険しい場面を乗り越え、実を結んだことは今日が実証している。ただし、これからも続くであろう20周年、そしてその先にある30周年のスパーンに目を向けた時、この歳月は単なる一里塚とも言えよう。ここまでは現時点における私の一片の思いに触れさせて頂いたが、改めてトータスの原風景を思い起こし、その歴史と思い出の一端を綴ってみる。私がお世話になり初めたのは、トータス設立から2年後のことであり、往時のことは理事長から聞き及んだ部分である。緑の園にはコナラやクヌギの落葉樹が多く広がる樹林が大半を占め、そして其処には野鳥や昆虫類が棲息する自然色豊かな土地柄であったようである。今でも鶯等、野鳥のさえずりは、時折私の心を癒してくれる立役者となっている。この地に私が初めて足を踏み入れた時、広場の東側に増築前の旧棟が凛とした姿でその従容を現した。何しろ特養ホームを見たのは初めてだったので、まさか4階もある中層の建屋があろうとはと、そんな思いにかられ感嘆したことを覚えている。そしてそこから始まった利用者や職員の方々との出会いは兎に角新鮮であったのですが、肝心の仕事の方では未経験の連続であり、戸惑いの中で、多くの失敗を重ねつつ、曲りなりにも六十路の旅を歩み出したのである。時をあの頃に巻き戻してみると唯々懐かしい思いが先に立つ。あの事、あの顔、…鮮明とはいかないが、朧げながらあれやこれやと浮かんでくる。そんな中で特にげんき館の建設と北ホテルの増築には印象が深い。「温泉を掘る」と理事長から聞かされた時ははじめ何のことか理解できなかった。とにかくその発想と慧眼には驚いた。私の耳学問ではこの鶴舞の地は高台に位置しているということであり、果せるかなとの思いがあった。それがどうだろう。爾来げんき館の見事な売りとなり、トータス第1の広告塔ともなり、一昨年の未曾有の台風による災害時には、周辺の方々に温泉風呂をサービスして大変喜ばれたのである。北ホテルについては、エピソードとして2点程ある。1つは増築地の選定である。私はてっきり現広場の一部を割いての増設と思っていた。それが旧棟の北面の殆ど垂直と言って良い程の急峻な崖地に計画していると言う。私としては当然のことながらこの時も疑問に感じた。何故こんなに危険な箇所を選んだのだろうかと。謎は解けた。
 理事長曰く「広場は利用者や職員への提供はもとより、地域の方々との交流の場として、現行の大きさのまま将来に亘って残しておくことがベストである」と。2つ目は増設棟の名称である。北ホテルとは如何にも突飛である。嘗てのフランス映画に感銘し、そのタイトルから命名したとのことである。やはり崖地に建っていたホテルを舞台にした陰あるラブストーリーに由来するらしい。私は以上の事をトータスの歴史を辿る中であの事として捉え、その一部を披歴したが些かあの顔、この顔にも触れてみたい。あの頃の利用者の中には、結構若くて元気な方が幾人か居た。A子さんは広場に出るともう即ぐに走り出し、何周も何周も駆けずり回り、ビックリする程の体力を発散させていた。B子さんは話上手で論理もしっかりしており、なおかつ左党の方も相当いけた口であった。C夫さんは、若くして重い難病を患っており、日数と共にするように、次第に衰弱していく姿を見るにつけ、何とも言えない複雑な心情になったが、当人は思いの外気丈であった。そして、旅立つ数日前、本人からの申し出により、最後の晩餐的な小宴を催した事が思い浮かぶ。また同時的に職員の人達の顔も次々と巡ってくる。惜しまれながら、後ろ髪を引かれるような、そんな形で去っていった方も居たし、一方風が吹き抜けるようにサァーッと通り過ぎて行った人達もそれなりの数に上るだろう。それらに引き換え、この顔と言う職員の中には当初からの人も数多く居るし、10年以上のベテランになる人も何人も居られる。
 これらの職員がチームトータスの屋台骨となって初期から今日までを支えてきたと言っても過言ではないだろう。まさしく継続は力なりであり、誠に頼もしい限りである。今でこそ、この様な表現に尽きるのであるがそれこそ発展途上だったあの頃は人知れず刻苦の連続であったことは間違いないと思うし、その姿を垣間見てきた。特に慣れぬ夜間の看取りなどはその最たるものではなかったかと思う。これらのことを思い起こすと、隔世の感を抱かずにはいられないのである。15年という歳月はトータスが生成期から伸張期を経て、熟成期へと向かっている歩みではないかと思うものであり、私にとっても人生の過完熟期を日々皆さんと同じ香りを嗅ぎ、吸えることは感謝以外何物にも代え難く、皺の数を増やしながらも生きがい大とするところである。
特別養護老人ホーム トータス
施設長 齋藤 武

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社会福祉法人鶴心会
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